観音碑の写真をまとめました。経緯は下記の文章を参照ください。
No. | 地名 | 場所 | 写真 |
番外1 | 栃木 | 磨崖仏 | ![]() 1940年建立当時 石灰採掘現場の崩落事故がたびたびあり,当時の岡田石灰社長の岡田嘉右衛門氏が犠牲者の霊を慰め山霊を鎮めるために発眼して建立された 1992年時点,やや風化している
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番外2 | 中津川 | 宗泉寺 間先生墓所 | ![]() |
番外3 | 浦和 | 玉蔵院 | ![]() |
1 | 中野 | 百観音明治寺 | ![]() |
2 | 高崎 | 白衣大観音 | ![]() |
3 | 世田谷 | 一路居士自宅 | ![]() |
4 | 小田原 | 飯泉山勝福寺 | ![]() |
5 | 淡路島 | 先山千光寺 | ![]() |
6 | 京都 | 天龍寺三秀院 | ![]() |
7 | 広島 | 江田島秋月 | ![]() |
8 | 徳島 | 剣山藤之池本坊 | ![]() 建立当時,1976年山崩れにより地中に埋没 1985年に再建立 |
9 | 秩父 | 音楽寺 | ![]() |
10 | 秩父 | 常泉寺 | ![]() |
11 | 京都 | 一燈園 | ![]() |
12 | 埼玉 | 霊山院 | ![]() |
13 | 埼玉 | 皎円膳禅寺 | ![]() |
14 | 伊予菊間 | 遍照院 | ![]() |
15 | 木曽福島 | 興禅寺 | ![]() |
16 | 高野山 | 奥の院 | ![]() |
17 | 京都 | 妙心寺智勝院 | ![]() |
18 | 浅間 | 普賢寺 | ![]() |
19 | 岡山 | 高賢寺 | ![]() |
20 | 岡山 | 光瓔珞製作所 | ![]() |
21 | 新潟 | 国上寺 | ![]() |
22 | 福岡 | 切幡寺 | ![]() |
23 | 栃木 | 妙雲寺 | ![]() |
24 | 埼玉 | 喜多院 | ![]() |
25 | 富山 | 上日寺 | ![]() |
26 | 神奈川 | 法雲寺 | ![]() |
27 | 栃木 | 雲照寺 | ![]() |
28 | 岐阜 | 圓鏡寺 | ![]() |
番外4 | 大阪 | 一嶽寺 | ![]() |
29 | 宮崎 | 慈眼禅寺 | ![]() |
30 | 埼玉 | 竹寺 | ![]() |
31 | 鎌倉 | 浄智寺 | ![]() |
32 | 西多摩郡 | 徳雲院 | ![]() |
33 | 高崎 | 恵徳寺 | ![]() |
番外5 | 岩手 | 円通山観音寺 | ![]() レストラン「茂ちゃん」に建立 2002年に現在地に遷座 |
あとがき
藤田いくみ (一路観音碑道しるべより)
祖母の死はもとより悲しいことですが,一方では私の肌に触れる空気の1粒1粒がすべて祖母であって,その空気に全身がすっぽりと包まれ,周辺にも満ち満ちているような,不思議な感じに捉われました。この気持を月尾菅子さんに話したところ,「光明が満ち満ちて私達を照らし,守っていてくれる」と表現して下さいました。では,この満ちあふれた光明とは一体何であろうかという疑問に突き当たりました。
この疑問を解こうとする過程で,何か記録に留めておいた方が良いのではないかと思い付いたのが,本冊子「一路観音碑道しるべ」を作るきっかけになりました。祖母の甥である和風堂の長井肇さんに話したところ快諾を得,また色々と指導を貰うことができました。
祖母は生前,三十三観音碑巡拝を果たす計画でしたが,結局7ケ寺に止まりました。そこで「光明」 の意味を探すという狙いもあり,祖母の後を追って,新盆も済ませましたので,主人と子供達とで近い所から巡拝を始めてみました。
最初に28番岐阜の園鏡寺をお詣りしたところ,御住職の河村了唆師から,「阿字(あじ,宇宙一切の本来不生不滅の玄理)の子が阿字の古里たちいでて又立ちかえる阿字のふるさと」という真言宗の教えを頂きました。この歌で眼を開かれたような気持になり,次々とお詣りをしました。この他一路居士存命中,篤志の方により建てられた,栃木の磨崖仏(1940年造像),中津川の宗泉寺(1951年建立)および浦和の玉蔵院(1955年建立)を尋ね,この機に改めて御縁を結び,番外としての許可を頂きました。
こうしてお詣りする度に感ずるのは,どこを訪ねても祖父と祖母の生命感,存在感が強く残っていることです。もうお詣りするだけでは物足りない,小さくても良いから案内書を作ろうと思い立ち,こうして本冊子が生まれるきっかけになったのは,先にも一寸触れた通りです。
時は前後しますが,伯父辰雄(祖父の長男で1939年死去)の遺稿をまとめた「冷蕊集」に眼を通してみました。伯父辰雄は,観音施画にも深く係わり,観音碑建立の基を成していることは,「一路観音抄録」に記されている通りです。逍稿を読み,私にとって幻の存在であった伯父辰雄に,血の通い合った親しみと言いますか,命の絆と言いますか,そんなものを改めて心に刻みつけられたような気がします。本冊子のまとめを終えても,なお思うことは,祖母は生死を超えて生き続けるということです。死とは忌わしい悲しいものだと考えていましたが,祖母のように希望につながっている死のあることを知り,ここに1つの安心を覚えました。そうありたいと思うのは私だけではないでしょう。そして家中に満ち満ちた光明こそ「希望につながった死」 の確かな証であると信じます。また私どもの長男吾郎は,冬休みに友達と連れだって,15番木曽福島の興禅寺,番外2番中津川の宗泉寺にお詣りしていますが,これからもお詣りを続け,37基巡拝を完了するつもりのようです。
最後になりましたけれど,祖母の生前の御交誼に甘えまして序文を頂いた橋爪良恒師,「観音の心を生き抜いた一路居士の生涯」を書かれた塩入亮達師をはじめ観音碑を守って下さる御住職様方,和風堂とは長年のおつき合いである昭和印刷社さん,その他多くの皆様方の御親切に心から感謝申し上げます。祖母の一周忌の霊前に慎んでこの小冊子を捧げたいと思います。
1985年4月3日